2009年4月帰国(スリランカ生活を終えて)
2005年に夫の赴任に伴って、まだ幼稚園と小学生だった2人の娘を連れてスリランカに渡ります。スマトラ沖の大地震が起きた数ヶ月ほど後のことでした。当時スリランカはまだ内戦地ということもあり、慣れない海外生活では緊張の連続でした。そんな中で出会った人々の優しさや絆には今でも助けられています。
4年間のスリランカ生活を終えて日本に帰国してきたのは2009年の3月で私が36歳、子供たちはそれぞれ小学3年生と6年生になろうとしていました。学校の新学期に間に合う様にと夫をスリランカに残して一足先に母子のみで帰国しました。
ワンオペでの新生活の準備は慌ただしく、家電品や家具などを取り急ぎ揃えては転入届けや学校の手続きなどに走り回ります。転勤族だったので慣れてはいましたが、少しの疲れや体調不良は何とか気合いで乗り切っていました。
病院に行くきっかけになった日
それまで自覚症状はなかったです。飲み過ぎたり食べ過ぎたりした時は不調になれど、定期検診もいつも問題なしでした。
4月のとある日、その日は差し入れに採りたての筍を沢山いただいたので、料理して娘たちと美味しく夕飯を食べました。
次の日、急にお腹の調子が悪くなったんです。胃が掴まれる様な強烈な痛みが襲ってきました。子供たちは平気だったので食中毒ではないようでしたが、これはちょっと病院に行った方が良いと判断して近くの胃腸科クリニックを受診しました。
その時のお医者様がとても丁寧に問診してくださり、4年間の海外生活の後なら一度ちゃんと検査しておきましょうということで次の日に胃カメラ検査を受けることになったんです。
それまでも何度か胃カメラ検査は経験していて、特別心配な事はなかったです。しかしこの時の腹痛と胃カメラ検査が後に私の命を救ってくれたんだと今となっては感謝しています。
検査後、結果には1週間ほどかかると言われていましたが数日で病院から携帯に電話がありました。すぐに病院に来てくださいと言われました。
さすがに何かあったんだなとは思いましたが、まさか胃癌宣告されるとは正直思ってなかったです。

顔つきの悪いタイプの胃がん
診察室に入り、お医者様と向き合うと何だか深刻な面持ちだったのでこちらの緊張も高まりました。
「結果がね、あまり良くなかったんだよね。細胞を取ったところから悪性のものが見つかってね。これが…いわゆる顔つきの悪いタイプの癌なんだよね。」
顔つき?癌?私の頭の中はその言葉がぐるぐるしてしまい、理解するのに30秒ほどかかった気がします。
「癌、ですか。顔つきが悪い…」とりあえず復唱してみました。
先生の説明では検査の結果は胃癌であるが、その中でも早期に全身転移をしやすい印環細胞癌という悪性度の高いタイプとの事。早期に転移や再発する可能性が高い癌を顔つきの悪いタイプの癌と言うそうです。
癌のステージや詳しい治療法はお腹を開いてからじゃないとハッキリは分からないという話でした。
すぐに大きな病院に紹介状を書いてもらい、入院手術の準備に入るのでした。
クリニックから自宅へ帰る道中は、まだ小学生の娘たちがいるのにどうしよう。30代で私死んじゃうのかなと涙がこらえきれませんでした。
入院から手術、退院まで
胃癌が発覚したものの、入院するまでは病室と手術の日程の空きを1ヶ月ほど待たなくてはいけませんでした。
早期に転移・再発する悪性度が高い癌と聞いていたので、1ヶ月も待つと死んじゃうんのではないかと不安になりましたが、九州から母親に来てもらって、いよいよ手術の日が6月5日と決まりました。
2日前の6月3日に入院して、手術後は問題がなければ2週間ほどで退院の予定となりました。
胃癌は発生場所により手術のやり方が違ってくるらしいです。私の担当医の見立てでは私の年齢がまだ若いので生活の質はなるべく落とさなくて良い様に胃を再建しつつ、悪いところは大きく取り切りたいということでした。
なので胃袋はほぼ全摘し、空腸を一部切り取って食道とつなげて胃を再建するルーワイ法という術式となりました。術後の診断は転移無し、悪いところは取り切ったということで化学療法や抗がん剤の追加療法もありませんでした。
手術後麻酔から覚めると、なぜか肩がひどく痛み、わめいていたのを覚えています。看護師さんが横で肩をさすってくださったのがとても有り難かったことも。
病室に戻り意識がはっきりしてくると、自分の体にいろんな管が何本もつながれている事に気付き、何とも言えない気持ちになりました。日に日にその管が取れていき身軽になりましたが、同時に麻酔も取れるので動くと痛みが強くなります。さらに術後癒着予防の為、早期離床して歩く事が勧められます。
早く治りたかったので、歯を食いしばって点滴スタンドを持ち、廊下をとにかく歩きました。
同じ様に頑張って歩いてる患者さんも多く、見知らぬ人が戦友の様な感覚になりました。相部屋の皆さんも深刻度が高い方が多かったので、ご家族との話などを聞いていると一緒に悲しくなったりほだされたりと本当にいろんな気持ちが渦巻き、感情の起伏も激しかったです。
経過は順調に過ぎ、晴れて退院の日を迎えます。まずは家族の元に帰れる有り難さをしみじみと噛み締め、これから襲ってくる未知の症状に向き合うことになるのです。
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